ノート:やなぎ屋主人

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「作品の舞台」の項に、つげ氏が「よろずや」に来店したのは「作品発表の4年前に当たる1962年(昭和41年)」とありましたが、1962年は昭和37年であり、昭和41年は1966年です。本記事の冒頭に、「『やなぎ屋主人』(やなぎやしゅじん)は、つげ義春による日本の漫画。1970年2月から3月にかけて『ガロ』(青林堂)に発表された」云々とあり、1970年の4年前なら1966年が正しいように思えます。実際、元号で言えば1966年は昭和41年に当たります。それで本文に1962年とあったのを1966年に直しましたが、たまたまWikipediaで「長浦駅」を引いてみたところ、つげ氏が1962年によろずやに来店したとの記述がありました。正確な年がいつなのか、私では考証できません。どなたか詳しい方のご協力をお願いいたしたいと思います。

『やなぎ屋主人』の物語では、やなぎ屋の娘の父は昭和19年(1944年)に呉から出征してすぐ戦死したとあり、本文の、私が改編する前の「解説」の項の説明でも、よろずやの父親は呉から出征して戦死していた、とあります。それなら、1966年につげ氏が来た時には娘はもう成人しており、子供ではないはず。1962年であったとしても、18歳くらいになっているはずです。「作品の舞台」の項に書かれていた「作品では食堂の母娘は未亡人とその娘が経営しているという設定になっているが、実際は当時、娘は未だ子供であった。」という内容は矛盾でしょう(文章も不自然)。どなたか正確な考証をお願いします。鈴木早智子会話2013年3月17日 (日) 09:08 (UTC)[返信]

つげが来店したのは店の女主人の証言では1962年(昭和41年)[1]との取材があるが、『つげ義春漫画術』でのつげ自身の話では、1963年(昭和42年)4月になっている。「作品では食堂の母娘は未亡人とその娘が経営しているという設定になっているが、実際は当時、娘は未だ子供であった。」というのは、おそらく初稿の書き間違いで、出典になる『つげ義春漫画術』下巻P159に、「母親の主人が暮れから出航し戦死した際に、母親がまだ赤ちゃんだった娘さんを連れていた」との話をつげが母親から聞いたと書いてあるので、その部分からの勘違いと思えます。--山田町の蛇池伝説会話2017年4月17日 (月) 12:36 (UTC)[返信]