ノート:おたく/subj/「おたく」の由来について

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「おたく」の由来について[編集]

1960年ごろにはアマチュア無線家の仲間同士では、話している相手を「おたく」と呼ぶのは、ごく普通のことでした。 アマチュア無線では交信している相手の姿が見えないため、実際に会った時に、敬称を間違えて失礼なことにならないように話している相手を相手局のコールサインで呼ぶか、「おたく」と呼ぶのが通例でした。 残念ながら1959年にアマチュア無線を初めて知ったので、それ以前はどう呼んでいたのかは判りません。

私も、当初は「おたく」を「変な言葉」と思い抵抗感がありました。そのうちに慣れてしまい普通に使うようになりました。 このアマチュア無線の仲間が交信ではなく、実際に会うことをミーティングと称して、あちこちで会合を持ちました。

ミーティングは仲間うちの会報で呼びかけることと、交信時に伝えることがありました。 無線の交信ですので、受信できる装置があれば、誰でも、何時、何処で、何のミーティングがあることを知ることができました。 ノンビリした時代でもあり、ミーティングは近所でやることが多く、来る者は拒まずでした。

参加者の殆どは、顔見知りの仲でしたが、時折参加する人、飛び込みで参加する人もいて、名前も何も判らない人も混じっていました。 その際、特定の相手に声をかけるのに、交信時と同様に、その人のコールサインか、顔と名前が一致していない相手には、「おたく」を使っていました。 この仲間同士の集まりには、アマチュア無線の免許を持っている人だけではなく、その友達やラジオに興味を持つ近くの小中学生も参加していることが多かった様に記憶しています。 つまり「おたく」の使い方を理解していた人はアマチュア無線家以外にもラジオに興味を持つ小中学生等がいたということです。

その当時はアマチュア無線や、短波無線受信をするにしても、メーカー製の装置は種類も少なく、高価であることから、装置を自作して使っている人が殆どでした。 自作するための部品の入手、そして、製作の際の技術情報の交換、指導にも仲間同士で会合を持ちました。 部品も新しい物は高価で入手しづらいため、中古の部品を怪しげな店や工場廃棄品捨て場、そして秋葉原などで集めていました。 秋葉原も今の電気街とも違い、半分は朝鮮戦争時の米軍払下品を売っている小さな店が殆どでした。 インターネットもなく、店舗情報も少ないため、先輩に引き連れられて、小中学生等を含めて仲間同士が集まって部品を探しに秋葉原に行きました。 仲間同士で集まった時、待ち合わせの時は、仲間同士の会話では姓名が判っていても、相手を「おたく」と呼ぶことが多かったように思いました。 この小中学生は学校のクラブ活動等でも仲間同士は相手を「おたく」と呼ぶことが多かったものです。

類は友を呼ぶということで、その友達仲間には、オーディオ、写真(カメラ)、天体観測(天体望遠鏡)、模型に興味を持つ人も、かなり含まれていました。 どれも、まだ高価で、特に小中学生では容易に購入できないものでした。 ラジオから模型まで扱っている科学教材社が秋葉原の近くにあったこともあって、科学教材社は秋葉原へ行ったときの立寄り先でもありました。 当然この仲間達は、相手を「おたく」と呼ぶことに抵抗感が少なかったのです。

周りで見ていた、いや、聞いていた人は、さぞ、奇異に感じたと思います。 私も仲間ではない友人から「おたくってなんだ?お前おかしいんじゃないか」と言われた記憶があります。 こういった仲間同士で使っていた「おたく」がちょっと変わった人達が使っている「相手を呼ぶ」言葉として表だたずに広がっていったものと考えるのです。 そして、時代が移っていっても、アマチュア無線仲間では「おたく」が使われ続けました。

1965年ぐらいにはオーディオ関係の趣味を持つ人、アンプ、スピーカー等を自作したり、単体を組み合わせてシステム化する人が増えていました。 この人達も最初に秋葉原を訪れるときは、秋葉原の小さな店や地理に明るい「おたく」に案内をしてもらうことが多かったのです。

1970年台の後半には、アマチュア無線等からパソコン等に移行していく人、新たにパソコン等を趣味とする人が増えてきました。 この当時はパソコンも製品は無いに等しくて、組み立てキットが主流で、部品を集めて組上げる人も多くいました。 こういった人達もパソコンを見る、知る、作るために、秋葉原に行くことになるのは必然でした。 この人達も、秋葉原の小さな店や地理に明るい「おたく」達を中心にして、秋葉原に集まりました。 ここでも、「おたく」という呼び方が広がっていきました。 そして、日本でもコモドール、アップル、NEC、シャープ等のパソコンが売られ始め、アメリカでは既に草の根BBSがスタートしていました。

1980年代に入ると、日本でもパソコン仲間が草の根BBS局を開きはじめました。 草の根BBSに参加した仲間同士でオフ会を開いた時、ハンドルネームの判らない人を「おたく」と呼んでいた記憶があります。 そして、日本で商業BBSが始まり、「おたく」はSIGやFORUMの仲間同士の集まりでも使われ続けたものと考えます。 無線、パソコン関係の人だけでなく、仲間同士で「おたく」という呼び方を使う人が増えていったのです。

また、コミケに代表される集まりでも、草の根や商業BBSで諸連絡がなされていました。コミケ自体でも、パソコンの部品等やソフトウェアそしてフロッピーに入った画像データ等が交換、販売されたこともあって、コミケに参加した人たちのなかでも「おたく」という呼び方が、ごく自然に広まっていったものと考えます。

この、コミケに参加していた人達の一部かもしれませんがお互いを呼ぶときに使っていた「おたく」という呼び方が、そのグループと関係のない周りの人から見て奇異だったので、そういう言葉を使う人達を「おたく」と呼び始めることになったと考えます。 そして、コミケの規模が大きくなるにつれ、参加人数が増え、「おたく」が趣味へののめり込みが深く、周囲の眼を気にしない人として使われだしたものと考えるのです。


念のためですが、秋葉原という地名で書いているのは、実体験に基づいているからです。 多分、大阪は日本橋、名古屋は大須等を含めて、各地で同様なことが起こっていたものと考えます。 私自身が初めて秋葉原にいった時は、OMさん(アマチュア無線の先輩)に連れて行ってもらいました。そしていつのまにか、私が案内役になっていました。アップルコンパチの全盛期には海外(主に米国)の人の案内もしていました。自分が「おたく」という呼びかけを使わなくなった時期ははっきりしません。

--岸川 2006年7月1日 (土) 04:09 (UTC)[返信]


なるほど、興味深いお話です。実に二人称を「お宅」と呼ぶ文化はそんなに前からあったんですね。上の「>呼称を「お宅」としたのが始まり。」の項でも書きましたが、私の経験では、「お宅」は侮蔑語であったのは確かで「もやしっこ」とか「ひよわ」とかといった語と同類のものとして使われていました。

--antennaman 平成19年11月23日(金)01:36 (UTC)

と言うか元々の由来と言うか意味は「ある分野に詳しい人」を指すのでは?現在では「のめりこんでいる人」と言う意味に誤用されており、その誤用がいつしか一般的となっていますが…(1990年代鉄道ジャーナルでの「タブレット」でもこの件は話題となったが…)。--目蒲東急之介 2008年9月16日 (火) 11:54 (UTC)[返信]


この項目はおたくという2人称の歴史ではないし、別に「お宅」という2人称を使うグループが「おたく」なのではありませんね。 外部から「おたく」と固有に呼ばれていた集団があらかじめ存在していて、中森昭夫がそれを「紹介」したのではありません。

固有名詞としての「おたく」とは、中森昭夫の命名・造語であり、「おたくの研究」の中で「おたくとはロリコンである」と彼は定義しています。 つまり「コミケに集う汚いロリコン男」「現実の女性に相手にされない薄汚れた連中」と彼が考えたものへの、徹底的な蔑称です。 もし「厳密な定義」があるとすれば、造語者中森によるそれ以外にありません。 中森の定義を変質させ、拡大して「鉄道オタク」などと用いられるようになったのはそれより後のことです。用例は時代とともに変質しますのでそれを説明することはいいですが、 蔑称であることを嫌って、出自を完全に避けて、ごまかした記述になっているので意味のないものなってしまってます。 裁判院 2010年3月17日 (水) 13:03 (UTC)[返信]