ステファノ・ウッシ

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ステファノ・ウッシ
Stefano Ussi
自画像
誕生日 1822年9月3日
出生地 イタリア,フィレンツェ
死没年 1901年7月1日
死没地 イタリア,フィレンツェ
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ステファノ・ウッシ(Stefano Ussi、1822年9月3日 - 1901年7月1日)はイタリアの画家である。歴史画や「オリエンタリズム」の絵画で知られる。

生涯[編集]

フィレンツェで生まれた。1837年からフィレンツェの美術学校で、ピエトロ・ベンヴェヌーティジュゼッペ・ベッツォーリ、エンリコ・ポラストリーニのもとで学び始めた。1848年に第一次イタリア独立戦争に参加するために絵の修業を中断し、5月29日のオーストリア軍とのモンタナラの戦いに参加したが、この戦いでオーストラリア軍に敗れ、1000人ほどの捕虜の一人として、オーストリア(現チェコ)のテレジーンの収容所に収容された。この経験は後のウッシの作品の題材になった。フィレンツェに戻った後、1849年にアカデミーのコンクールで優勝し、ローマに留学する資格を得た。ローマで修業した後、1859年からフィレンツェで活動を始め、歴史画の画家として知られるようになった。

1860年にフィレンツェの美術学校の教授に任命され、ウッシの教えた学生には フェデリコ・アンドレオッティジョヴァンニ・ボルディーニ、ドメニコ・ブルスキ、アントニーノ・ガンドルフォらがいた。

1869年のスエズ運河の開通式典に参加して、エジプトへ旅し、1874年と1882年にはモロッコに滞在し、イタリアの「オリエンタリズム」を代表する画家になった[1]

作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Announcement regarding exhibition: “The Orientalists. Enchantment and discovery in 19th century Italian painting”, October 2011 to January 2012.

参考文献[編集]

  • Ussi, Stefano. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 34: Urliens–Vzal. E. A. Seemann, Leipzig 1940, S. 7.