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ジャン・アルフレッド・フルニエ(Jean Alfred Fournier、1832年5月21日 ‐ 1914年12月25日)は、フランスの皮膚科学、梅毒学の医師。
パリ市の生まれ。1860年に医学博士。1875年頃に脊髄癆の梅毒起源説を発表。
1879年進行麻痺の梅毒起源説を発表(これはのちの1913年に野口英世とムーアにより進行麻痺患者の大脳皮質内にトレポネーマが確認され証明された)。
1879年サン・ルイ病院皮膚科梅毒学講座初代教授。1901年衛生・道徳的性病予防フランス協会を設立を提唱。
没後1932年パリに梅毒撲滅のためのフルニエ研究所が開設された。