ジャガッジャヤ・マッラ

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ジャガッジャヤ・マッラ(Jagajjaya Malla、? - 1736年)は、ネパールカトマンズ・マッラ朝の君主(在位:1722年 - 1736年)。

生涯[編集]

1722年、王であるバースカラ・マッラが死亡し、プラターパ・マッラの末子マヒーパテーンドラ・マッラの外孫であるジャガッジャヤ・マッラが王位を継承した。

1725年、パタンを支援するゴルカ王国に対抗するため、バクタプル王ラナジット・マッラと結んで、パタンを孤立させた。だが、数日後にパタン王ヨーガプラカーシャ・マッラと談合し、バクタプルを孤立させた。

1736年、ゴルカ王ナラ・ブーパール・シャハはカトマンス領ヌワコートを攻めた[1]。だが、三都マッラ朝の連合軍はゴルカを破って撃退することに成功した。そのため、ゴルカはカトマンズ、バクタプルに使節を派遣し、ナラ・ブーパールはラナジットと、ゴルカ王太子のプリトビ・ナラヤン・シャハはカトマンズ王太子のジャヤプラカーシャ・マッラと盟友関係を結んだ。

同年、ジャガッジャヤはこうした情勢の中で死亡した。彼にはジャヤプラカーシャ、ラージャプラカーシャ、ナレーンドラプラカーシャの三人の息子がいたが、長男のジャヤプラカーシャが王位を継承した。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 佐伯和彦『ネパール全史』明石書店、2003年。 

関連項目[編集]