カイ良

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(かい りょう、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の政治家。子柔荊州南郡中盧侯国の人。同郷同姓のとは一族の可能性が高いが、関係は不明である。

[編集] 正史の事跡

姓名
時代 後漢時代
生没年 生没年不詳
字・別号 子柔(字)
本貫・出身地等 荊州南郡中廬侯国
職官 〔不明〕
爵位・号等 -
陣営・所属等 劉表
家族・一族 〔不詳〕

劉表が荊州刺史として赴任した際、蔡瑁と共に招かれ、服従しない豪族への対処法について相談される。これに良は「仁愛と信義をもって人民を労わるように」と進言し、蒯越は「利で誘った上で無道の者を誅し、残りは安撫すべき」と進言した。劉表は良の進言を「(仁義を尊んだの)雍季の議論と同じである」としたが、越の進言の方をとり、荊州を統一した。

[編集] 物語中の

三国志演義』では延平の人、越の兄とされる。正史の穏健な性格から一変し、孫堅を討ち取る策を示すなど、軍事面において優れた才能を持つ一方、孫堅の遺骸を孫策に返すことを止め、この機に孫氏を滅ぼすよう進言するなど容赦の無い人物として描かれた。

[編集] 参考文献