アブラハム・アンヘル

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アブラハム・アンヘル
Abraham Ángel
自画像(1923年)
誕生日 (1905-03-07) 1905年3月7日
出生地 エル・オロ・デ・イダルゴ(El Oro de Hidalgo)
死没年 1924年10月27日(1924-10-27)(19歳)
死没地 メキシコシティ
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アブラハム・アンヘルとして知られるアブラハム・アンヘル・カルド・ヴァルデス(Abraham Ángel、Abraham Ángel Card Valdés、1905年3月7日 - 1924年10月27日)は、メキシコの画家である。19歳でコカインの過剰摂取で死亡したが、肖像画や風景画など約20点の独特なスタイルの作品を残した。

略歴[編集]

メヒコ州のエル・オロ・デ・イダルゴ(El Oro de Hidalgo)で生まれた。父親はスコットランドかウェールズ出身の鉱夫のEdward Card Burke (イギリスでの姓は、Carthburke Beedgar)であり、5人兄弟の末子であった。父親は金や銀を採掘して稼ごうとして家族を置いて、メキシコ各地を転々とし、メキシコのシナロア生まれの母親も子供たちを残して、殆ど家族のところへ帰ることの無かった父親のもとに移った。

一家の長となった兄とともに、アブラハム・アンヘルはプエブラに移り、そこで暮らしていたが、11歳の時に、メキシコシティに移り、母親や姉と兄と暮らした。16歳で絵を学ぶために、国立美術アカデミー(Academia Nacional de las Nobles Artes、かつてはアカデミア・デ・サン・カルロスとして知られていた。)に入学することを兄に反対され、家族から絶縁される事になり、その後は姓のカルド・ヴァルデスを用いず、アブラハム・アンヘルの名前で活動することになった。

この頃には、画家のマヌエル・ロドリゲス・ロサノ(Manuel Rodríguez Lozano: 1896-1971)と同性愛の関係になったとされ、アブラハム・アンヘルはロドリゲス・ロサノの家に住み、彼からメキシコの美術指導者アドルフォ・ベスト・マウガルド(Adolfo Best Maugard: 1891-1964)に影響を受けたスタイルの絵画を教えられた[1]

1年ほどたった後、ロドリゲス・ロサノが別の若い芸術家のフリオ・カステリャノス(Julio Castellanos González: 1905-1947)とより親密に付き合うようになった。1924年10月に、アブラハム・アンヘルはコカインの過剰摂取で死亡しているのが発見された。事故であったか自殺であったかは、確定していない。

約20点の独特なスタイルの肖像画や風景画などが残されている。

作品[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ Abraham Angel Card, Art Encyclopedia.

外部リンク[編集]