アブドラッラヒーム

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アブドラッラヒーム(Abd al-Rakhim、1560年 - 1635年)は、ヤルカンド・ハン国の王族。

生涯[編集]

アブドゥッラシード・ハン1世の十二男で、父の死から3か月後に誕生した。

1591年、兄のムハンマドから東部のサリコル英語版ワハン英語版地域の統治を任され、1594年トルファンチャリシュ英語版で自立を宣言した甥のクダバンデ・スルタンを1596年に打倒して、両地域の統治権も得た。

しかし、カザフとの婚姻関係をもって後ろ盾を得たアブドラッラヒームは東部において権力基盤を安定させ[1]、ムハンマドからの自立傾向を強めた。ムハンマドの死後にシュジャーウッディーン・アフマドがその後継者となると、不満を持って独立した。以降、死去するまでの約40年間、アクスバイロシア語版を手中に収めようとして抗争を続けた。アブドラッラヒームの死後、その勢力は子のアブドゥッラーが引き継いだ[1]

出典[編集]

  1. ^ a b 丸山 2014, p. 53

参考資料[編集]

  • 丸山鋼二「ヤルカンド・ハン朝の建国と「聖戦」: 新疆イスラム教小史⑦」『文教大学国際学部紀要』第24巻第2号、文教大学、2014年1月、47-64頁、CRID 1050001338027025664ISSN 0917-3072