高思宗

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高 思宗(こう しそう、生没年不詳)は、東魏から北斉にかけての人物。本貫渤海郡蓨県高歓の祖父の弟の高稚の曾孫にあたる。

経歴

高雍(高陀の子)の子として生まれた。武定末年、中軍将軍・儀同三司の位を受け、兗州刺史に任じられた。上洛郡開国男に封じられた。北斉の天保元年(550年)6月、上洛郡王に封じられた。清都尹をつとめた。武平元年(570年)10月、司空に上った。太傅となり、在官のまま死去した。

子に高元海・高孝緒があった。

伝記資料