高山ジュスタ

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高山 ジュスタ(たかやま ジュスタ、生没年不詳)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての女性。高山右近の妻。キリシタン。名は

生涯

フロイス日本史』によれば、摂津豊能郡余野の貴人(城主か)「クロン」殿[1]の長女。母は摂津池田城主の娘・マリア。高山右近の父・飛騨守ダリオと「クロン」とは友人かつ遠縁であり、永禄7年(1564年)「クロン」とその一族は飛騨守の勧めがあり、ロレンソ了斎により受洗した。

のちに高山右近と結婚。子に高山長房(ジョアン)、初(ルチヤ[2]

慶長19年(1614年)、江戸幕府によるキリシタン国外追放令を受け、右近、高山マリア、子供とともにルソンへ配流される。後にマニラで死去した。

脚注

  1. ^ 「黒田」姓とも「蔵人」の名乗りともいわれる。
  2. ^ 横山康玄に嫁ぎ、後離縁。父母らとともに国外追放された。

出典

  • 『戦国人名事典』(新人物往来社)
  • 『完訳フロイス日本史』1.織田信長篇 ISBN 4-12-203578-3(中公文庫)