「衆議院」とは異なります。 |
集議院 しゅうぎいん | |
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種類 | |
種類 | |
任期制限 | 4年(2年ごとに半数改選) |
沿革 | |
設立 | 1869年8月15日(明治2年7月8日) |
廃止 | 1873年6月25日 |
前身 | 公議所 |
後継 | 左院 |
役職 | |
長官 | |
議事堂 | |
明治政府、東京府 |
1869年(明治2年7月)に政府は、公議所を改めて集議院とした(同時に待詔局を改めて、待詔院とし、また弾正台を設けた)。
議院は公議所から継続し、長官を議長と称した。しかし、その議決の採否の如何は行政官の任意であったため、行政に対する議政権は萎縮した[1]。
1871年以降会議は開かれず、同年8月左院所属となり、1873年6月に廃止された。
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