長尾景茂

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長尾景茂
時代 鎌倉時代中期
生誕 不明
死没 宝治元年(1247年)?
別名 景利?、太郎、通称:平内左衛門尉
主君 三浦泰村
氏族 長尾氏
父母 父:長尾定景
兄弟 景茂胤景光景友景
正室:葛西時清[1]
定村景氏為村景忠
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長尾 景茂(ながお かげもち)は、鎌倉時代中期の武士長尾氏3代当主。

略歴[編集]

公暁を討った長尾新六定景の嫡男として生まれる。長尾家は当時三浦氏郎党であった。三浦氏は北条氏外戚として勢威を振るっていたが、新たな北条家外戚となった安達氏との対立が激化する。

宝治元年(1247年)、安達氏の後押しを得た5代執権北条時頼鎌倉で挙兵。三浦一族とそれに味方する武士を族滅(宝治合戦)し、景茂らも自刃した。長尾一族はほとんど絶え、生き残りは景茂の子である景忠(四郎)など、僅かであったという。

後に長尾氏が上杉氏に仕え始めたのは基景景為の代である。

脚注[編集]

  1. ^ 塙保己一群書系図部集』第4巻より