金生喜造

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金生 喜造(かのう きぞう、1887年 - 1982年)は、日本の地政学者地理学者

経歴

福岡県立中学修猷館を経て、東京高等師範学校を卒業[1]

中学修猷館の英語教諭などを歴任[2]した後、福岡日日新聞に入社。地政学に関する数多くのドイツ語文献を翻訳し、自らも地政学に関する著作を著す。1941年、設立された日本地政学協会の参与に就任[3]

戦後、公職追放を受ける[4]が、解除後、西日本新聞参与、福岡市立拓殖専門学校講師などを務めている。

著書

  • 「欧州の現勢:戦局の展開と地政学(上・下)」 古今書院 1940年-1941年
  • 「国境論」 日新書院 1942年
  • 「大東亜地政学と青年」 潮文閣 1943年

翻訳

脚注

  1. ^ 「修猷館同窓会員名簿 開学百八十年祭記念」(1965年)同窓会員8頁
  2. ^ 大塚覚「修猷館物語」(1962年)5頁
  3. ^ 日本地政学協会 雑誌「地政学」創刊号(1941年)
  4. ^ 大塚覚「修猷館物語」(1962年)197頁