通検推排

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通検推排(つうけんすいはい)は、12世紀金朝で採用された財産調査制度[1]

歴史[編集]

金朝においては、女真族を根幹とした猛安・謀克戸奴婢を除き、物力銭が課されていた[2]。この物力銭の額を査定するため、財産の全国的な調査を行ったが、これを通検推排と呼ぶ[1]。第4代皇帝海陵王時期の放漫財政による財政難を打開するため、第5代皇帝世宗時期になって始められたものであり、初回の通検推排は大定4年(1164年)に行われたが、この時の調査は公正を欠き、権勢家に有利だという批判を受けたため、翌年に再調査が行われた[1]。以後は概ね10年ごとに行われたが、通検使は税の増収を図ろうとし、また権勢家に有利になったため、種々の問題が生じ、また物力銭の徴集は年を経るごとに苛烈になる傾向があり、金朝に対する漢民族の反感をつのらせた[1][2]。調査の対象は、農地家屋車輛家畜・有用樹・所有する現金などが含まれたが、蒲察通はさらに奴婢や牛具も含めるべきと主張した[3]。最後に行われた通検推排は泰和8年(1208年)の第5回である[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 京大東洋史辞典編纂会『東洋史辞典』東京創元社、1990年4月、P589。
  2. ^ a b 京大東洋史辞典編纂会『東洋史辞典』東京創元社、1990年4月、P745。
  3. ^ 小川裕人「金代の物力錢に就て(中)」、東洋史研究会『東洋史研究』6巻1号所収、1940年12月、PP43-60。

関連項目[編集]