西尾忠雅

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西尾忠雅
時代 江戸時代中期
生誕 元文4年(1739年
死没 明和2年10月18日1765年11月30日
戒名 青靈蒼龍徳雲院
官位 従五位下播磨守
遠江横須賀藩世嗣
氏族 西尾氏
父母 西尾忠需
兄弟 忠雅忠移
丹羽高寛
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西尾 忠雅(にしお ただまさ)は、江戸時代中期の遠江国横須賀藩の世嗣。官位従五位下播磨守

略歴

3代藩主・西尾忠需の長男として誕生。正室は丹羽高寛の娘。

忠需が藩主に就く以前に生まれる。宝暦5年(1755年)、9代将軍・徳川家重に拝謁する。宝暦10年(1760年)叙任するが、家督相続前の明和2年(1765年)に早世した。法名は青靈蒼龍徳雲院。

代わって、弟・忠移が嫡子となった。