襄公 (魯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。NM6424T (会話 | 投稿記録) による 2022年4月17日 (日) 11:45個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎生涯)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

襄公 姫午
23公
王朝
在位期間 前572年 - 前542年
都城 曲阜
姓・諱 姫午
諡号 襄公
生年 紀元前575年
没年 紀元前542年
成公
定姒

襄公(じょうこう、紀元前575年 - 紀元前542年)は、の第23代君主。名は午。成公の子。

生涯

成公18年(紀元前573年)、成公が死去すると、3歳の姫午が君主の位についた。これが魯の襄公である。襄公は季孫行父丞相として、魯国の安定をはかった。襄公5年(紀元前568年)、大臣の季孫行父が死去したとき、季孫行父は薄葬をもって葬儀を進めるよう遺言しており、襄公はこれに感動して季孫行父を廉吏とたたえ、季孫行父の諡号を「文」(季文子)とした。

襄公21年(紀元前552年)、襄公は自ら平公のもとに朝拝した。襄公31年(紀元前542年)、襄公は死去し、太子の姫野が即位した。

家族