袁皇貴妃

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皇貴妃袁氏(こうきひ えんし、1616年 - 1654年)は、崇禎帝の寵妃。

経歴

北京の人。袁佑の娘として生まれた。天啓年間、信王朱由検(のちの崇禎帝)の邸に入り、側室となった。信王が皇帝に即位すると淑妃に封じられ、のち貴妃に進んだ。翊坤宮に住まった。父の袁佑は正一品右都督に任じられた。

若草色の服を好み、騎射をよくし、寵愛を受けた。崇禎14年(1641年)、皇貴妃に進んだ。

崇禎17年3月18日1644年4月24日)、北京が李自成軍によって陥落すると、崇禎帝は袁氏を自ら手にかけて斬ったが、袁氏は3か所に傷を負ったのみで一命を取りとめた。代には、清朝政府から手当を受けて扶養された。

子女

  • 1人の女子。昭仁公主1637年 - 1644年、崇禎帝に殺害された)と他3人の公主(早世)のうちのいずれか。

伝記資料

  • 明史
  • 『崇禎長編』
  • 『思陵典礼記』
  • 『崇禎宮詞注』
  • 『旧京遺事』