藤原房教

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藤原房教
時代 鎌倉時代中期
生誕 寛喜3年(1231年
死没 正安元年6月6日1299年7月4日
別名 葉川殿
官位 正二位侍従
主君 後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇亀山天皇後宇多天皇伏見天皇後伏見天皇
氏族 近衛家庶流粟田口家
父母 父:藤原基良、母:藤原隆雅
兄弟 粟田口良教房教藤井教嗣
房通房家、隆慶、教覚
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藤原 房教(ふじわら の ふさのり)は、鎌倉時代中期の公卿権大納言藤原基良の二男。官位正二位侍従非参議葉川殿と称す。

経歴

以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

脚注

  1. ^ 房教が従三位に叙せられる以前の官位はよくわからないが、薨去するまでずっと侍従であった。

参考文献