藤原惟孝

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藤原 惟孝(ふじわら の これたか、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族藤原北家勧修寺流権中納言藤原為輔の子。官位従五位上駿河守[1]

経歴

天元6年(983年)正月に玄蕃頭から駿河守に転任する[2]

弟、藤原宣孝[1]紫式部の夫であるため[3]、惟孝は紫式部の義理の兄にあたる。

系譜

  • 父:藤原為輔
  • 母:藤原守義の娘
  • 妻:伴清廉の娘
  • 妻:紀文実の娘
    • 男子:藤原泰通
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原致義
    • 男子:藤原相序
    • 男子:鎮禅[1]

脚注

  1. ^ a b c 『尊卑分脈 第二篇』pp.121-122
  2. ^ 『公卿補任 第一篇』p.221 父である藤原為輔の項の補足として惟孝の官位についてふれられている。
  3. ^ 野毛 甲斐、駒田 英代「パトグラフィー紫式部 ~解読「源氏物語」~」古典総合研究所

参考文献

  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年、p.221
  • 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年、pp.121-122