コンテンツにスキップ

蔣英実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Luckas-bot (会話 | 投稿記録) による 2012年3月30日 (金) 19:31個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.1) (ロボットによる 追加: fr:Jang Yeong-sil)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

蒋英実
各種表記
ハングル 장영실
漢字 蔣英實
発音: チャン・ヨンシル
日本語読み: しょう・えいじつ
2000年式 Jang Yeong-sil
テンプレートを表示

蒋英実(チャン・ヨンシル、蔣英實韓国語:장영실1390年頃 - 1450年頃)は中世李氏朝鮮科学者緯度計測器である簡儀日時計水時計および大砲(平和的に利用すれば花火)等を製作した。1424年に宮中の工匠から抜擢されに派遣された[1]。帰国後世宗大王が官職に就かせようとすると官奴出身のため列臣の反対にあった。その後更点之器と呼ばれる水時計を製作し、その功績が認められ正五品尚衣院・別坐についた[1]1434年6月には水を継ぎ足す警告を自動で出す水時計・自激漏を完成させ、景福宮南側の報漏閣に置かれた。これは国内の標準時計として採用され、この功績をもって正四品・護軍に任じられた。後に従三品・上護軍に任じられたが、1442年、蒋英実の監督下で製造された王の輿が破損したため不敬罪に問われ、杖刑(百叩きの刑)を受けた[2]

製作物

日時計

水時計

その他

  • 簡儀 - 緯度測定器。
  • 小簡儀 - 簡儀をさらに簡便にしたもの。
  • 渾天儀 - 中国・元の時代、郭守敬が作った天文儀器(いわゆる立体ホロスコープ)。これを使って星の動きを読み、「暦」を作った。明の代になり、「世界の暦を支配することは皇帝の権利である」とされたため、これが李氏朝鮮にあることが世宗の時代に外交問題になった。
  • 渾象

脚注

関連項目

実学者集団「白塔派」と四検書官―蒋英実の死後、その書物を圭章閣で研究

丁若ギョン