茜屋宗佐

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茜屋 宗佐(あかねや そうさ、生没年不詳)は、戦国-安土桃山時代茶人[1]。通称太郎右衛門[2]。別名吉松[2]

経歴・人物[編集]

の人物[1]茜屋宗休の子[2]

武野紹鴎に学ぶ[1]。鶴首茶入れや大名物の柿形茶入れ(茜屋柿)などを所蔵した[1]。堺の大小路[3]に居所があった豪商津田宗及が記した『天王寺屋会記』の天文20年2月16日の条などにその名がみえる[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『茜屋宗佐』 - コトバンク
  2. ^ a b c 阿部猛・西村圭子編『戦国人名事典』新人物往来社(1990)
  3. ^ 当時はこの付近の大小路通が摂津国と和泉国との境界であった。