能高郡
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能高郡(のうこうぐん)は、日本統治時代の台湾に存在した行政区画の一つであり、台中州に属した。
概要
[編集]埔里街、国姓庄、蕃地の1街1庄1蕃地を管轄し、郡役所は埔里街に置かれた。郡の東端にある能高山が名前の由来で、日月潭から北東に数十kmの距離に位置した。郡域は現在の南投県埔里鎮、国姓郷、仁愛郷、魚池郷の一部に当たる。
1900年代以降、郡は台湾総督府の台湾中部における原住民の統治の中心となり、郡内には18もの警察署や蕃童教育所が置かれた。1930年(昭和5年)には台湾原住民による抗日蜂起事件である霧社事件が起こった。
歴代首長
[編集]郡守
[編集]- 齋藤透[1]:1920年9月[2] -
- 秋永長吉:1922年1月[3] -
- 古藤誠助:1927年3月[4] -
- 小笠原敬太郎[注 1]
- 山下末之武:1930年11月5日 -
- 澤井益衛:1931年[5] -
- 釜田喜太郎:1933年[6] -
- 大塚久義[7]
- 神田利吉:1938年12月[8] -
- 荒川美根太:1940年10月[9] -
- 佐藤才幹:1942年[10] -
- 砥上坦:1944年12月16日 -
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 在任中に霧社事件で死亡する。
出典
[編集]- ^ 『台湾総督府職員録 大正9年12月』、191頁。
- ^ 橋本 1924, 186頁.
- ^ 橋本 1924, 190頁.
- ^ 原 1931, 418頁.
- ^ 五味田 1938, 404頁.
- ^ 興南新聞社 1943, 92頁.
- ^ 興南新聞社 1943, 59頁.
- ^ 興南新聞社 1943, 94頁.
- ^ 興南新聞社 1943, 12頁.
- ^ 興南新聞社 1943, 163頁.
参考文献
[編集]- 橋本白水『評論台湾之官民』南国出版協会、1924年 。
- 原幹洲 編『南進日本第一線に起つ新台湾之人物』拓務評論社台湾支社 勤労富源社、1931年 。
- 五味田恕 編『新竹州の情勢と人物』1938年 。
- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。