砂川職務執行命令訴訟

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最高裁判所判例
事件名 地方自治法第一四六条第一二項の規定に基く同条第二項の例による職務執行命令裁判請求
事件番号 昭和33(オ)776
1960年(昭和35年)6月17日
判例集 民集第14巻8号1420頁
裁判要旨
 地方自治法第一四六条の規定による職務執行命令訴訟においては、裁判所は、国の職務執行命令が適法かどうかを実質的に審査すべきものである。
第二小法廷
裁判長 小谷勝重
陪席裁判官 藤田八郎池田克河村大助奥野健一
意見
多数意見 全会一致
反対意見 なし
参照法条
地方自治法146条
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砂川職務執行命令訴訟(すなかわしょくむしっこうめいれいそしょう)は、東京都砂川町における米軍基地を巡る職務執行命令訴訟。

概要[編集]

東京都砂川町で米軍基地拡張のため、1956年6月から7月にかけて収用対象の約1万9000坪の測量が終了し、東京都土地収用委員会に裁決申請の手続きがとられた[1]。東京都収用委員会は宮崎伝左衛門砂川町長に通達し、住民に公告・縦覧を行うよう求めたが、町長が拒否し、安井誠一郎東京都知事による職務執行命令にも応じなかったため、8月に東京都が砂川町を相手に職務執行命令訴訟を提起した[1]

砂川町は「土地収用法は一方的な日米行政協定に基づいて履行されているため違憲無効である」と主張していたが、1958年7月31日に東京地裁は「砂川の土地収用の訴訟は国の機関である町長と知事の行政事件であり、上級から下級への命令は当然実行されるべき」「命令が形式的要件を欠いているか、または不可能な事柄を命じている場合は別にして町長の服従の義務がある」として東京都の請求を認める判決を言い渡した[2][3]。これを不服とする砂川町は最高裁に跳躍上告した[3]

1960年6月17日に最高裁は「裁判所は当該知事命令は憲法違反かどうかを審査する権限を有する。したがって東京地裁は同命令が違憲かどうかを審査すべきだった」として東京地裁判決を破棄して裁判やり直しを同地裁に命じた[4]

東京地裁での差し戻し審の審理中に宮崎伝左衛門砂川町長が1962年12月に死亡したことで、被告としての地位が後継町長の砂川三三に承継されるのかも争点となったが、1963年3月29日に東京地裁は「職務命令の内容は憲法違反ではない」「被告は町長個人で反かう町長という機関であるから、訴訟当事者だった町長が死亡しても、後継町長に訴訟は承継され、都知事の命令を実行する義務がある」として東京都の職務執行命令を合憲とした[5]。砂川町が上訴しなかったため、判決が確定した。

脚注[編集]

  1. ^ a b ““町長は知事に従え” 砂川の訴訟で都側勝 地裁判決”. 朝日新聞. (1958年7月31日) 
  2. ^ “砂川側に敗訴の判決 都知事の土地収用広告請求”. 読売新聞. (1958年7月31日) 
  3. ^ a b “「実質審査を怠る」 最高裁 東京地裁の判決破棄”. 読売新聞. (1960年6月17日) 
  4. ^ “「砂川訴訟」やりなおし “違憲審査”が必要 最高裁、地裁判決を破棄”. 朝日新聞. (1960年6月17日) 
  5. ^ “後任町長に履行義務 砂川 土地収用の公告 東京地裁判決”. 朝日新聞. (1963年3月29日) 

関連項目[編集]