田村顕詩

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田村 顕詩(たむら あきのぶ、寛延元年(1748年[1] -没年不明)は江戸時代後期の旗本一関藩主家分家の旗本田村氏第5代目当主で寛政重修諸家譜編纂当時の当主である。は顕詩。通称は主税、主馬。養父は田村村房。実父は多羅尾光豊。実母は小堀克敬の娘。妻は松波隆起の娘。実子は田村顕孝。養子は田村顕承多羅尾光雄の子)。養女(多羅尾光豊の娘、安部信成の妻)。養女(仙台藩鈴木次庸の娘。顕承の妻)

生涯

多羅尾光豊(四郎右衛門)の次男として生まれる。子がなかった田村村房の養子となって安永6年(1777年)に村房が死去すると、30歳で家督と家禄蔵米700俵を相続し、書院番士となる。

寛政重修諸家譜が編纂された頃までには実子の顕孝(長熊)が早世しており、仙台藩主伊達周宗家臣の鈴木次庸(主税)の娘を養女に迎え、その婿養子として多羅尾光雄の次男である顕承(津久雄(つくお))を養子に迎えた。

脚注

  1. ^ 寛政重修諸家譜に記載される家督相続時の数え年からの逆算

参考文献

  • 『新訂寛政重修諸家譜 第22』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、1964年)
    • 寛政重修諸家譜 巻第千五百三