玉田金三郎

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玉田 金三郎(たまだ きんさぶろう、1858年安政5年4月[1][2]) - 1915年大正4年)6月27日[2])は、日本の弁護士政治家衆議院議員(1期)。

経歴

大和国添上郡奈良町(現・奈良県奈良市)生まれ[1]。弁護士試験に合格し、その業務に従事する[1]奈良市会議員、同参事会員、同議長、奈良県会議員、宅地貸借価格調査委員、大阪電気軌道(株)取締役となる[2]

1890年第1回衆議院議員総選挙において奈良1区から自由党所属で立候補するが次点で落選した[3]1892年第2回衆議院議員総選挙で独立倶楽部から立候補して当選した[4]。衆議院議員を1期務め、1894年第3回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して落選した[5]。1915年に死去した。

脚注

  1. ^ a b c 衆議院 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第202回』衆議院事務局、1940年、285頁。NDLJP:1278238 
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』401頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』5頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』10頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』16頁。

参考文献

  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。