猿蓑

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猿蓑さるみの)は、向井去来野沢凡兆が編集した、蕉門発句連句集。松尾芭蕉元禄4年(1691年)の5、6月に京都に滞在し『猿蓑』撰の監修をしている。書名は、芭蕉が詠んだ「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」の句に由来する。俳諧七部集の内の一つ。蕉門の最高峰の句集であるとされる。

概要

芭蕉は元禄3年幻住庵にはいり、4年春を粟津の無名庵でむかえ、4月嵯峨落柿舎ですごした。芭蕉の俳諧は東北地方旅行で一変した。去来はその新風のおしえをうけて、その際、旅行以後の句風を代表する撰集を編もうとこころざしたらしい。それがすなわち「猿簑」で、句撰はすこぶるきびしかったらしく、「去来抄」「湖東問答」などをみても、去来、凡兆などの間にかなり激しい議論があり、芭蕉もまた去来の疎漏を遠慮なくただすというような熱心さであった。「花屋日記」によれば、「猿簑」の撰が成り、吟声のとき、芭蕉はわざわざ深川から鳥羽ノ文台を取り寄せたという記述があるが、実際、「猿蓑」は芭蕉にとっては、末代の亀鑑となるべき集であり、その指導もそれまでの撰集とは異なる態度で助言したと想像されている。

内容

内容は、発句382句(芭蕉41句、去来25句、其角25句、凡兆42句)、連句歌仙4巻(去来、芭蕉、凡兆、史邦4吟1巻。凡兆、芭蕉、去来3吟1巻。凡兆、芭蕉、野水、去来4吟1巻。芭蕉、乙州珍碩素男その他1巻)、幻住庵記、几右日記をおさめ、これに其角序、丈草跋が付く。

古来、非常にとうとばれた集であり、許六は「前猿蓑は俳諧の古今集也、初心の人去来が猿蓑より当流俳諧に入るべし」(「宇陀法師」)といい、支考は「猿蓑集に至りて、全く花実を備ふ」(「発願文」)といい、風国は「正風の腸を見せ」(「伯船集」序)といい。曲斉は「風調は地を専にして風韻を主とし、高雅なるもの、「冬の日」に似ず、曲節なるもの「ひさご」に反して、ひとり当時の一体と見れば、世挙て俳諧の花実全備たりと称して、ここにとどまることしばらくあり」(「婆心録」)というように、わびさびのもっとも円熟した時期の集であり、真に幽玄閑寂の風をあらわし、発句、連句ともに天下の亀鑑であるとされる。

関連項目

外部リンク