溝口貞泰

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溝口 貞泰
時代 戦国時代-江戸時代前期
生誕 天文8年(1539年
死没 慶長13年(1608年
官位 美作
幕府 江戸幕府
主君 小笠原貞慶小笠原秀政
松本藩
氏族 溝口氏
父母 父 :溝口長友
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溝口 貞泰(みぞぐち さだやす)は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。小笠原家の家臣。松本藩士。

概要

信濃小笠原氏の家臣、溝口長友の八男として生まれる。天正10年(1582年)の天正壬午の乱を機に、二木重吉と共に、主家再興に尽力し、主君小笠原貞慶深志城に復帰させることに成功した[1]

小笠原氏の侍大将として、数々の戦いに参加。死没する少し前には「溝口家記」を主君小笠原秀政に献上した。

脚注

  1. ^ [1]信長の野望 創造 2017年5月1日

参考文献

  • 戦国大名家臣団事典/信濃史