池田政貞 (利隆三男)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。111.239.170.2 (会話) による 2020年9月13日 (日) 07:34個人設定で未設定ならUTC)時点の版 ({{出典の明記}})であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

池田 政貞(いけだ まささだ、慶長18年(1613年) - 寛永10年7月25日1633年8月29日))は、江戸時代初期の武士池田氏の一族。

生涯

和意谷池田家墓所、七のお山の政貞の墓

慶長18年(1613年)、播磨姫路藩主・池田利隆の3男として生まれるが、寛永10年(1633年)7月25日、数え21歳で死去した。長兄の池田光政(政貞の死の前年に国替えで備前岡山藩主となった)が造営した和意谷池田家墓所岡山県備前市)に葬られている。