池田亀三郎

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池田 亀三郎(いけだ かめさぶろう、1884年明治17年)5月2日 - 1977年昭和52年)4月2日)は、日本の技術者実業家旭硝子(現AGC)社長や、石油化学工業協会会長を務めた。

人物・経歴

山形県出身。1909年東京帝国大学工科大学採鉱冶金科卒業、三菱合資入社[1]三菱鉱業技師長や、三菱鉱業取締役を経て[2]、1939年に山田三次郎が死去すると後任の日本化成工業社長に就任[3]。1943年からは旭硝子社長も務め[4]、1944年には旭硝子と日本化成工業の合併による三菱化成工業の設立にあたった[5]。1944年旭化学工業奨励会理事長[6]。第二次世界大戦後は公職追放対象者となるが、1950年10月に解除[7]。1958年石油化学工業協会会長[8][9]

脚注

  1. ^ 岡藤次郎, 「追悼 池田亀三郎氏の逝去を悼む」『情報管理』 1977年 20巻 3号 p.165, doi:10.1241/johokanri.20.165, Japan Science and Technology Agency
  2. ^ 「池田龜三郞 (男性)」人事興信録データベース(名古屋大学)
  3. ^ 「旭硝子(株)『旭硝子100年の歩み : 伝統・創造・革新. 資料編』(2007.09)」渋沢社史データベース
  4. ^ 歴代社長旭硝子
  5. ^ 「旭硝子(株)『旭硝子100年の歩み : 伝統・創造・革新. 資料編』(2007.09)」渋沢社史データベース
  6. ^ 「財団60年のあゆみ」旭硝子財団
  7. ^ 一万余名を追放解除『日本経済新聞』昭和25年10月14日朝刊1面
  8. ^ 歴代会長 (役職は就任時のもの)石油化学工業協会
  9. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2010年 83頁。


先代
山田三次郎
日本化成工業社長
1939年 - 1944年
次代
旭硝子と合併
先代
大野政吉
三菱化成工業(旧旭硝子)社長
1943年 - 1946年
次代
森本貫一
先代
大野政吉
旭化学工業奨励会理事長
1944年 - 1946年
次代
森本貫一