江川英敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。ロリ (会話 | 投稿記録) による 2015年8月31日 (月) 16:46個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ジョン万次郎撮影の江川英敏

江川 英敏(えがわ ひでとし、天保10年(1839年) - 文久2年12月16日1863年2月4日))は、江戸時代末期の旗本で、伊豆韮山代官である。第37代江川家当主。通称は太郎左衛門。

経歴

天保10年(1839年)、第36代当主・江川英龍の三男として生まれる。安政2年(1855年)に父が死去した(2人の兄は既に早世していた)ため、家督を継いで第37代当主となり、太郎左衛門を称した。生前に父が進めていた農兵育成・反射炉の完成・爆裂砲弾の作成などを次々と推し進めたが、家督を継いでから7年後の文久2年(1862年)に夭折した。享年24。

継嗣がなく、末弟の江川英武養子として跡を継いだ。

関連項目