永井尚知

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永井 尚知
生誕 (1887-12-26) 1887年12月26日
(明治20年12月26日)
石川県金沢市
国籍 日本の旗 日本
職業 柔道整復師、柔術家
流派 長尾流躰術天神真楊流柔術
講道館柔道神道六合流柔術
一刀流
活動拠点 永武館(東京市芝区白金三光町)
永盛堂
配偶者 永井ゆき子
永井喜之男
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永井 尚知1887年12月26日 - ?)は、日本武術家である。

経歴

1897年12月26日(明治20年)に旧金沢藩士永井喜之男の長男として石川県金沢市に生まれる[1]

石川県第一中学校に学び、後京都に出て柔道を修めた[1]

柔術は始め父に就いて長尾流躰術を学んだ。また天神真楊流講道館柔道を学び、剣道は一刀流を学び免許を得た。郷里に帰って各中学校や警察署の師範となった。また、帝國尚武會野口清より神道六合流を学び、明治42年に『帝國尚武會制定型圖解』を著している。

後上京して東京市芝区白金三光町に永武館道場及び永盛堂(整骨院)を開設し子弟教育の傍ら高輪中学、高輪商業、高輪警察署柔道講師として指導していた。

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b ラヂオ協会 編『日本ラヂオ総覧』ラヂオ協会、1929年

参考文献

  • ラヂオ協会 編『日本ラヂオ総覧』ラヂオ協会、1929年。
  • 東京府市政通信社 編『東京府市自治大鑑 前,後巻』東京府市政通信社、1926年。
  • 医事時論社 編『日本医籍録』医事時論社、1925年。
  • 永井尚知 著『帝國尚武會制定型圖解』帝國尚武會、1909年
  • 永井尚知 著『甲種科教授書』帝國尚武會、1910年
  • 永井尚知 著『乙種科教授書』帝國尚武會、1910年
  • 永井尚知 著『丙種科教授書』帝國尚武會、1910年