楊密

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Miraburu (会話 | 投稿記録) による 2021年12月27日 (月) 15:15個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:三国志の登場人物を除去; Category:李傕・郭汜軍の人物を追加 (HotCat使用))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

楊 密(よう みつ、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。

正史の事跡

姓名 楊密
時代 後漢時代
生没年 〔不詳〕
字・別号 〔不詳〕
出身地 〔不詳〕
職官 中郎将
爵位・号等 -
陣営・所属等 郭汜
家族・一族 〔不詳〕

三国志』魏書董卓伝注に引く『漢書』にのみ、その記載がある人物。

郭汜配下。興平2年(195年)に中郎将の地位にあった。 この年、李傕献帝を手中に収めた後、公卿を郭汜の下に派遣して講和させようとした。郭汜は公卿の1人楊彪に助言を求めたが、楊彪が李と郭汜の2人を批判したため、郭汜は怒ってこれを斬ろうとした。しかし、楊密や他の郭汜側近が諫止したので、ようやくその場は収まったという。同様の場面は『後漢書』董卓伝にもあるが、こちらでは楊密の名は現れない。

小説『三国志演義』にも登場し、史実と同様の行動をとっている。

参考文献