松田欣也

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松田 欣也(まつだ きんや、1937年1月10日[1] - )は、広島県広島市出身の実業家広島マツダ社長などを務めた。

経歴[編集]

広島市、現在の中区で生まれる。父はマツダモータース(現:広島マツダ)の創業者である松田宗弥。祖父は東洋工業(現:マツダ)創業者の松田重次郎。戦時中は広島県双三郡君田村(現:三次市)に疎開していたため原爆の難を逃れたが、父宗弥と全従業員は犠牲となった。父と自宅を失ったため各地を転々とし、小学校を5回転校している。修道高等学校(1955年卒業)を経て[2]立教大学経済学部卒業。1959年愛知マツダ(現:東海マツダ販売)に入社。1961年広島マツダ取締役、1962年松田耕平の後任として4代目広島マツダ社長に就任。2002年社長を退き会長に就任[3]

脚注[編集]

  1. ^ 『1999 広島会社手帳』 - 375ページ
  2. ^ 井川樹「男たちの修道」(南々社2012年)7頁
  3. ^ 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター