松平長勝 (松平郷松平家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。106.131.25.119 (会話) による 2022年11月29日 (火) 07:27個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

松平 長勝(まつだいら ながかつ、生年不詳 - 明応2年10月8日1493年11月21日))は、室町時代武将。父は松平信広。通称越前守太郎左衛門。子に松平勝茂

略歴

松平親忠に使える。[1]明応2年10月13日、上野・挙母・寺部・八草の敵三千が岩津城を襲おうとし、長勝は援軍として参加し討死した[1]法名源心。墓所は晴暗寺(愛知県豊田市[2]

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜第1輯』(国民図書、1922年、200p)

脚注

  1. ^ a b 国民図書 1922, p. 200.
  2. ^ 松平郷松平家”. 2022年9月22日閲覧。

外部リンク