本多成広

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本多 成広(ほんだ なりひろ、寛文7年(1667年)- 寛保2年8月3日1742年9月1日)) は、江戸時代中期の福井藩家老

父は本多道重。通称は次郎太夫、民部、縫殿。号は道山。

生涯[編集]

寛文7年(1667年)福井藩家老本多道重の子として越前に生まれる。宝永4年(1707年)父道重の死去により家督相続。宝永7年(1710年)城代となる。享保9年(1724年)に家老となり、19年にわたって藩政に携わり、藩主吉邦宗昌宗矩に仕えた。寛保2年(1742年)職を辞し、同年8月3日死去。享年76。

参考文献[編集]

  • 「越藩史略」