本多忠雄

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本多忠雄
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和2年(1765年
死没 文化13年12月23日1817年2月8日
別名 雄之進(通称
墓所 奥州泉村泉住院
陸奥泉藩世嗣
氏族 本多氏(平八郎家)
父母 父:本多忠籌、母:松浦誠信
兄弟 忠誠忠雄忠堅、松浦忠、忠順
荒木忠純大田原清昭
家臣医師・桜井養説の養女・梅子
曽根子(本多忠誠養女)
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本多 忠雄(ほんだ ただお)は、江戸時代中期の陸奥国泉藩の世嗣。通称は雄之進。

略歴[編集]

2代藩主・本多忠籌の次男として誕生。母は松浦誠信の娘。子は本多忠誠の養女(山口弘致継室)。

天明5年3月13日1785年4月21日)、病気を理由に廃嫡された。それに伴い庶子で長兄・忠誠が嫡子となり、父の隠居後に家督を継いだ。

文化13年12月23日(1817年2月8日)、死去。