本多忠順

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本多 忠順(ほんだ ただより、明和8年8月21日1771年9月29日) - 文政7年8月20日1824年9月12日))は江戸時代の武士。泉藩本多忠籌の5男。

来歴[編集]

母は側室家臣・松浦伊右衛門の娘。星野家の養子となる。

寛政元年(1789年)老中となり星野姓から本多姓に復して家臣となり、代々家老上席職となる。

側室は小牧氏二女・直子。子に、長男・忠貞、次男・彦四郎、三男・亮太郎、四男・章らがいる。

文政7年(1824年)8月20日卒去。子孫に本多忠綱氏。

出典[編集]

  • 「奥州泉藩主 本多家十二代家譜御履歴」水澤松次編
  • 「泉藩主 本多忠籌公御遺稿 こその枝おり」編者水澤松次