服部章蔵

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服部 章蔵(はっとり しょうぞう、1848年12月18日嘉永元年11月23日) - 1916年大正5年)1月30日)は、明治時代の教育者、牧師である。義弟は服部俊一

長州藩藩校の一つ吉敷憲章館の創設者の子孫に生まれ、憲章館で学ぶ。東京に行き、S.R.ブラウンから英学を学ぶ[1]アメリカ合衆国長老教会宣教師デイヴィッド・タムソンタムソン塾で学び、タムソンから洗礼を受け、東京基督公会に所属する[2]

1877年に東京一致神学校が設立されると、タムソン塾から青山昇三郎鈴木銃太郎ら6人と共に入学する。タムソンからは旧約聖書釈義を学ぶ。

1879年山口県に光塩学校(後の梅光女学院)を開校する。

1881年日本基督一致教会の西部中会が設立されると、瀬川浅、青山昇三郎と、まだ東京一致神学校に在籍中であった服部も牧師になる。

参考文献

  1. ^ 『沢山保羅』50ページ
  2. ^ 『長老・改革教会来日宣教師事典』213ページ

参考文献