春梅斎北英
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春梅斎 北英(しゅんばいさい ほくえい、生没年不詳)とは、江戸時代 後期の大坂の浮世絵師。
来歴
春好斎北洲の門人。春江、北英、春江斎、春梅斎、春梅亭、雪花楼、春陽斎とも号す。ふもとのゆき、越しのゆき、こしじのむめ、ふもとのむめという印を使用した。文政12年(1829年)から春江斎北英と称し、春梅斎の号は天保4年(1833年)11月から使用している。大坂の人で、立売堀一丁目に住んでいた。作画期は文政11年(1828年 )から天保7年(1836年)のおよそ九年ほどで、大判役者絵を最も得意とした。この短い活躍期に多数の役者絵を創作しており、その技巧は終始、巧緻で全く破綻がないものであった。
また、舞台場面を具体的印象的に表現したことでも知られている。役者絵の他には絵入根本の挿絵も手がけている。絵入根本の例としては天保5年(1834年)刊行の『敵討浦朝霧』七冊、同じく天保5年刊行の『いろは仮名四谷怪談』二編10冊、天保6年(1835年)刊行の『[土偏+舊]礎花木樹』(めいしょずえはなのこのした)前編6冊後編6冊が挙げられる。北英は天保8年(1837年)頃没したといわれる。
門人に春寿、北寿、北雪、北信がおり、他に門人と推定される絵師に北西、北妙、北倒、北升、北木がいるが何れも寡作な絵師であり、ここに流光斎如圭 - 松好斎半兵衛 - 春好斎北洲 - 春梅斎北英と続いた上方絵の主流は断絶してしまったのであった。
作品
- 「団七九郎兵衛・嵐璃寛」 大判 錦絵 天保3年(1832年)
- 「平井ごん八・嵐璃寛 小むら咲・中村富十郎」大判2枚続 錦絵 天保6年(1835年)
参考文献
- 『増訂浮世絵』- 藤懸静也(1946年、雄山閣)→近代デジタルライブラリー※202頁