昌原黄氏
昌原黄氏 檜山黄氏 | |
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氏族 | |
国 | 朝鮮 |
領地 | 昌原市 |
家祖 |
黄石奇 黄忠俊 黄亮沖 |
著名な人物 | 黄嗣永、黄寅性、黄晳暎、黄祐呂、黄禹錫、黄教安 |
창원황씨대종회 |
昌原黄氏(チャンウォヌァンし、창원황씨)は、朝鮮の氏族の一つ。本貫は慶尚南道昌原市である。2015年の調査では271,986人である(他に同系列の檜山黄氏[1]は18,216人)[2]。
朝鮮の黄氏は、中国後漢の重臣だった黄洛にはじまる。黄洛は、後漢の光武帝時代の28年に使臣としてベトナムに赴く途中に海上で遭難し新羅に漂着・帰化した。黄洛の子孫の黄石奇、黄忠俊、黄亮沖が昌原黄氏の始祖となる。
平海黄氏、長水黄氏、慶州黄氏、管城黄氏、徳山黄氏、尚州黄氏、星州黄氏、紆州黄氏、斉安黄氏、杭州黄氏、黄州黄氏、懐徳黄氏と共に中央黄氏宗親会をなしている[3]。
脚注
参考文献
- “황 黃”. 斗山世界大百科事典. オリジナルの2022年9月23日時点におけるアーカイブ。
- 金光林 (2014年). “A Comparison of the Korean and Japanese Approaches to Foreign Family Names” (英語) (PDF). Journal of cultural interaction in East Asia (東アジア文化交渉学会): p. 18. オリジナルの2016年3月27日時点におけるアーカイブ。