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斎藤 利親(さいとう としちか、文明5年(1473年)? - 明応5年12月7日(1497年1月10日))は、戦国時代の武将。斎藤氏持是院家3代目当主。持是院家2代目当主斎藤妙純の嫡男。左衛門、大納言、権律師[1]、新四郎と称す。兄弟に又四郎、彦四郎、長井利隆[2]?
姉妹に朝倉貞景室、京極高清室らがいる。子は利良の他、女児が1人いる。
明応5年(1496年)9月、父と共に近江の六角高頼討伐に参加、同年12月7日、郷民の蜂起に遭い、父と共に戦死した。法名は紹興妙親で、享年24とも[1]。子の利良は幼いため、弟の又四郎が後を継いだ。
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