敬天愛人
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敬天愛人(けいてんあいじん)とは天を敬い人を愛すること。「敬天」は天をおそれ敬うこと。
「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也」(現代語訳)
「道というのはこの天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である」(西郷南洲顕彰会発行『南洲翁遺訓』より抜粋)
この言葉は、西郷隆盛の「南洲翁遺訓」(岩波文庫)の中に登場して、西郷隆盛の言葉として知られている。ただし、これは西郷が言い出した言葉ではなく、他の人の言葉を借りてきたものである。では、誰の言葉からかということになると、彼がよく影響を受けたとされる広瀬淡窓には、「敬天」はあるものの「愛人」がない。「敬天」と「愛人」とを一体に結んで、「敬天愛人」として相即不離に説くことはなく、依然として「敬天」に止っていた。「敬天愛人」の語を日本で最初に提唱したのは中村敬宇(中村正直)である。それは敬宇の学んだ中国や日本の儒学在来の敬天思想が、新しくキリスト教の「愛神」の思想に接触して、これを摂取し、深く感化されて「敬天愛人」へと結実したものと考えられる。西郷は、それを自らの遺訓に取り込んだものと考えられる。
西郷隆盛の書
「敬天愛人」と揮毫した西郷隆盛作の書が現存しており、鹿児島県鹿児島市上竜尾町の西郷南洲顕彰館に所蔵されている。西郷南洲顕彰館に所蔵されている書は、四方学舎の道場に掲げられていたものであり、第二次世界大戦終戦後に南洲神社の所有となったが、鹿児島市立美術館に所蔵された[1]。
1967年(昭和42年)3月31日に鹿児島県指定有形文化財(書跡)に指定された[1]。