慶子内親王

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慶子内親王(けいしないしんのう、延喜3年(903年) - 延喜23年2月10日923年2月28日))は平安時代中期の皇族。父は醍醐天皇。母は源和子。同母の兄弟姉妹に常明親王式明親王韶子内親王斉子内親王などがいる。

延喜4年(904年内親王となる。延喜16年(916年)に14歳で裳着し、敦固親王の妃となるが、延喜23年(923年)2月に21歳の若さで病死した。

略歴

  • 延喜3年(903年):醍醐天皇の第三皇女として生まれる。
  • 延喜4年(904年)11月17日:内親王宣下を受ける[1]
  • 延喜16年(916年)11月27日:朝、清涼殿に於いて裳着の儀を行う[2]
  • 敦固親王の妃となる[3]
  • 延喜23年(923年)2月10日:21歳で薨去する[3]

脚注

  1. ^ 日本紀略延喜4年11月17日条
  2. ^ 『日本紀略』延喜16年11月27日条など
  3. ^ a b 『日本紀略』延喜23年2月10日条など