徐祥
徐 祥(じょ しょう、1332年 - 1404年)は、元末明初の軍人。本貫は興国軍大冶県。
生涯
はじめ陳友諒に仕え、江州で朱元璋に帰順し、功績を重ねて燕山右護衛副千戸に上った。燕王朱棣に謹直を認められて近侍した。1399年(建文元年)、靖難の変が起こると、徐祥は朱棣の起兵に従った。1402年(建文4年)、功績を重ねて都指揮使に累進した。永楽帝(朱棣)が即位すると、徐祥は功を論じられて興安伯に封じられ、奉天翊衛宣力武臣の号を加えられ、1000石の禄を賜り、都督僉事の位を世襲する権利を得た[1]。1404年(永楽2年)5月、死去した。享年は73。
孫の徐亨が後を嗣いだ。
脚注
参考文献
- 『明史』巻146 列伝第34