この項目では、漢末の黄巾党の人物について説明しています。三国時代の呉の人物については「張梁 (呉)」をご覧ください。 |
張梁 | |
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黄巾 人公将軍(自称) | |
出生 |
生年不詳 冀州鉅鹿郡 |
死去 |
光和7年(184年)10月 冀州鉅鹿郡広宗県 |
拼音 | Zhāng Liáng |
主君 | 独立勢力 |
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張 梁(ちょう りょう、? - 184年)は、中国後漢末期の人物。黄巾党の指導者の一人。兄は張角・張宝。人公将軍と自称した。
兄の張角・張宝と共に黄巾の乱を起こし、反乱軍を指揮して朝廷の討伐軍を苦しめた。張角の病死後も軍を引き継いで討伐軍と戦ったが、張角が病死したことで勢いづいた討伐軍を抑えきれず、光和7年(184年)10月、広宗にて皇甫嵩に敗れ戦死した。