張梁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Miraburu (会話 | 投稿記録) による 2021年12月26日 (日) 07:08個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:後漢霊帝期の人物を除去; Category:黄巾軍の人物を追加 (HotCat使用))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

張梁
黄巾
人公将軍(自称)
出生 生年不詳
冀州鉅鹿郡
死去 光和7年(184年)10月
冀州鉅鹿郡広宗県
拼音 Zhāng Liáng
主君 独立勢力
テンプレートを表示

張 梁(ちょう りょう、? - 184年)は、中国後漢末期の人物。黄巾党の指導者の一人。兄は張角張宝。人公将軍と自称した。

兄の張角・張宝と共に黄巾の乱を起こし、反乱軍を指揮して朝廷の討伐軍を苦しめた。張角の病死後も軍を引き継いで討伐軍と戦ったが、張角が病死したことで勢いづいた討伐軍を抑えきれず、光和7年(184年)10月、広宗にて皇甫嵩に敗れ戦死した。

関連項目