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弓削 元宝(ゆげ の がんほう)は、日本の飛鳥時代の人物である。姓は連。弓削八田の子とする系図がある[1]。名は元実ともする[2]。
本人ではなく、子の事績でわずかに知られる。『日本書紀』の持統天皇4年(690年)10月22日条に、名が知れないその子のことが記される。弓削連元宝の子は、百済救援戦争に従軍して唐の捕虜になった。天智天皇2年(663年)、大伴部博麻が身を売って得た衣糧を得て、土師富杼、氷老、筑紫薩夜麻とともに帰国し、唐の計略を本国に知らせた。
参考文献
脚注
- ^ 鈴木真年『百家系図稿』巻2,弓削宿禰(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会,1986年 による)
- ^ 『日本書紀』北野本、内閣文庫本