平野屋新蔵

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平野屋 新蔵(ひらのや しんぞう、生没年不詳)とは江戸時代末期から明治時代にかけての江戸地本問屋

来歴

平新、愛錦堂と号す。幕末から明治期にかけて江戸の日本橋万町長三郎地借[1]において地本問屋を営業している。文久1年(1861年)2月に西宮屋新吉から株を譲り受けている。2代目歌川広重3代目歌川豊国豊原国周歌川芳虎3代目歌川広重錦絵を出版している。

作品

  • 2代目歌川広重 「隅田川八景」 大判 錦絵揃物 文久1年
  • 3代目歌川豊国 「柳街梨園全盛花一対」 大判 錦絵揃物 元治1年(1864年)
  • 豊原国周 「見立白浪八景」 大判 錦絵揃物 慶応1年(1865年)
  • 歌川芳虎 「五代目尾上菊五郎の呉服屋清七」 大判 錦絵 明治2年(1869年)
  • 3代目歌川広重 「東京名勝図会」

脚注

  1. ^ 『浮世絵の基礎知識』は日本橋万町、また番町、とする。

参考文献