平岩 親重(ひらいわ ちかしげ、生年不詳-1577年)は、戦国時代の武将。通称金八郎、新左衛門、左京進。
平岩重益の子で、初め近昌と名乗った。松平長親・信忠・清康の3代に仕えた[2]。
天正5年5月11日死去。法名久眞。墓所は三河国岩津村の妙心寺。妻は天野貞親の娘 [2]。
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