平岩親重

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平岩 親重(ひらいわ ちかしげ、生年不詳-1577年)は、戦国時代武将。通称金八郎新左衛門左京進

子に平岩親吉がいる[1]

略歴

平岩重益の子で、初め近昌と名乗った。松平長親信忠清康の3代に仕えた[2]

天正5年5月11日死去。法名久眞。墓所は三河国岩津村の妙心寺。妻は天野貞親の娘 [2]

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜第7輯』(栄進舎出版部、1918年、131p)

脚注

  1. ^ 平岩氏”. 2022年10月11日閲覧。
  2. ^ a b 栄進舎出版部 1918, p. 131.

外部リンク