布尾良策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
布尾良策
誕生日 1905年10月8日
出生地 富山県氷見郡窪村窪
死没年 1992年10月1日(1992-10-01)(86歳)
死没地 富山県氷見市
国籍 日本の旗 日本
芸術分野 洋画家
テンプレートを表示

布尾 良策(ぬのお りょうさく)、明治38年(1905年)10月8日 – 平成4年(1992年)10月1日は、昭和から平成初期にかけての洋画家。本名は東海良作。のちに布尾姓。富山県展審査員、氷見市美術協会会長、蒼潮会代表を歴任。

経歴[編集]

明治38年(1905年)富山県氷見郡窪村窪(現・氷見市窪)に生まれる。1921年、富山師範学校(現・富山大学教育学部)に入学、小学校教員養成過程に学ぶ。在学中の夏期休暇の課題の風景画を描いたところ、安岡信義に激賞される。1926年婚姻し布尾姓を名乗る。1929年川辺外治に師事。1934年、文検を受験し「師範学校中学校高等女学校教員(西洋画・用器画)」に合格、1935年、旧制富山中学にて開催された版画講習会に参加(講師に木版画の小野忠重、銅版画の武藤完一)。1936年、富山県立氷見高等女学校(現・富山県立氷見高等学校)に奉職し、本格的に絵を描き始める。同年東一雄らと氷見で初めての洋画研究会「蒼潮会」結成。1941年、川辺外治を中心とした「一沓会」に参加し、同年の大潮展で入選。その後、高光大船と相知り浄土真宗に深い関心を寄せ 、高光大船の紹介で暁烏敏の知遇を得て 、中村研一に絵の批評を受けたりする。暁烏敏の紹介で高光一也に師事し、1954年第10回日展で「鏡の前」で初入選、以後10回入選。光風会展では入選を続け1957年に会友、1961年に会員となり、日展と光風会を中心に作品を発表した。楽器シリーズが主だったが晩年はアジャンタ、漁師を題材にした作品を描き、1992年没。

作品[編集]

  • 「連峰遠望」[1]
  • 「少女像」[2]
  • 「日曜日」
  • 「母子」
  • 「鏡の前」
  • 「イアリング」
  • 「粧」
  • 「猫を抱く子」
  • 「仰臥の童女」
  • 「クラリネットのS君」
  • 「K氏像」
  • 「宗匠」
  • 「吹奏トリオ」
  • 「菅楽三重奏」
  • 「フルートの少年」
  • 「青果市場」
  • 「共働」
  • 「六歌仙」
  • 「バザール(テヘラン)」
  • 「潮にいきる」
  • 「定置網起し」[3]

書籍[編集]

  • 『布尾良策展 -日展と光風会展出品作品を中心として- 』 氷見市立博物館.1995年[4]

出典[編集]

関連項目[編集]