巨勢楲田荒人

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巨勢楲田 荒人(こせのひだ の あらひと、生没年不詳)は、飛鳥時代7世紀中頃)の豪族許勢稲茂の子。

記録[編集]

荒人の名前は『日本書紀』などの記録には登場しないが、『新撰姓氏録』「右京皇別」、「巨勢楲田朝臣」の項目によると、「雄柄宿禰四世孫稲茂臣之後也。男荒人」とあり、「天豊財重日足姫天皇(皇極天皇)」の御世に大和国の葛城の長田が開発された際に、その地が上方にあり、水を灌漑することが困難であったため、荒人の技術により、長楲(揚水機)を初めて造り、川の水を田に灌漑することができたという。天皇は大いに喜び、楲田(ひだ)臣の氏姓を賜ったと記されている。

『新撰姓氏録』「右京皇別」の「巨勢斐太臣」の項目にも「巨勢楲田同氏、巨勢雄柄四世孫稲茂男荒人之後」とあり、同じ血をひく一族であることが記されている。

脚注[編集]

参考文献[編集]